犬、立往生。交通機関はウンジャラゲ

死ぬかもしれないと思った。真夏日が続く。ようやく整い始めたアレもコレも全ておかしくなってしまった。

旅行に行く為に長期休暇を取っていた。2ヶ月。しかし出だしに体調が崩れた。妙な微熱が続く。明確に熱が出るわけでは無い。好調にも不調にも振り切らない重苦しい日々が始まってしまい、立ち上がれば苦しくなり、横になってもまた苦しい。動こうとして起こる苦しみと、動けないことの苦しみ。

明らかに体は異常を来していたが、誰にも打ち上けきれないモヤモヤを抱えたまま静養などしていると、なんだかこの世のサイクルから外れたような感覚になり、ズル休みをしているような気持ちになる。終いには「いつもお前はズル休みをして逃げるよな」とありもしない声を聞く。抽象的な幻影が、具体的な誰かの皮を被ってアレコレ余計なことを吹き込む。わかっているから見ないふりもできる。しかしまた現れるので目を逸らすが、たまに真正面から食らう。重たくて、激痛では無いがジワジワ未来に影響を及ぼすような痛み。声が静かに反響する。メンタルの内壁は艶を無くした鈍色の、うねった形の板金のような素材でできている。言うなれば質の良いコンサートホールみたいなもので、大きな声ならより大きく、小さい声ならそれなりに大きく響く。小さいはずの声だったのに、色んな反響をして、形を変えたり増えたりしながら、とてもよく耳に入って来る。

邪念と煩悩がまたありもしない悩みを生むのだ。自分が誰かの顔をして自分を責める。誰の何の意志がそうさせて、何が言いたいのか。虚妄に惑わされている。

犬のように4足で立ったらもう少し我が身は安定するのだろうか。答えは「しない」。それとこれとは関係がないからだ。二足歩行のフリをしてみたが、元々4足で立っている。これ以上増やす脚はない。

引き返す道もまた混雑している。食べカスや排泄物、菓子パンのビニールゴミなど、すべて行きがけに自分が放置した物だ。余計なものならその都度片付けるべきなのに、暑さにかまけて捨てたままにしてしまったのだ。行けど戻れど苦しむならば進むべきか、はたまた立ち止まってしまうか。わからずその場でぐるぐる回る。もうわからない。

「3回回ってワン」という言葉があるが、今の自分の様子をタイムスリップしてきた鎌倉時代のお武家が見つけて、自分の暮らす時代に戻った時に「未来に行ってきたんだけど、繋がれていない犬が頭抱えてその場でくるくる回ってたぞ。結局どうしようもなくて最後に諦めたようにワンって呟いたんだ。未来、怖い」等と言いふらしたことで、現代に残った言葉なのかもしれない。だったら意地でもワンとは言わない。回転を止めて一言。

「No one can stop me.(誰も俺を止められない)」

犬的には結構長めの英文を呟いた。この一言で私は永遠に回転することが決まった。ただ一つ問題だったのは、この言葉は些か気合が入り過ぎていて、言うのが恥ずかしいというか、いきり立った10代の決意のようで、二度と言いたくない感じが言った後も体に充満していることだった。しかし、どうせもう止まらないならば二度と言う事もない。むしろ「やっぱり疲れてきたんで一旦止まります」とかなら言うかもしれない。

昔読んだ本に、回転し続けると生き物はバターになると書いてあった。そこには木の周りを回る虎がやがてバターになる様子が描かれていたが、自分はより回転率が高い回り方をしているので、虎よりずっと早く、じきにバターになるだろう。今日は真夏日だからあっという間に形がなくなり、足元の地面は美味しいトーストの様な香りになるはずだ。